歴代の女性天皇・其の弐
一番目が元正天皇だったので、次は母親である元明天皇をと
少し考えて、あえて別の御方にしてみる(特に意味は無い)
さて、一番有名と言えば、きっと日本で最初に女性天皇として即位した
推古天皇ではないでしょうか。
しかし、日本史のテストで出題されるぐらい有名なのに
私の記憶にはやはり影が薄い存在なのです。
何故かと言えば、答えは簡単で
飛鳥・奈良時代は好きだが、大化の改新以前はあまり興味が無いからです。
なんと言うか、ピンポイントで興味が無い時代があるのは
そこで題材にされた小説なり、なんなりが少ないか見つけていないのも
きっとあるんだろうと思います。
兎に角、推古天皇。
皇位継承争いに巻き込まれ、政権を獲った蘇我氏が意図した人物に
即位させるために、中継ぎとして天皇の位に立ちました。
ちなみに、この時代は親から子へと皇位を継承する事もありますが
まず、親→有力な男子→その兄弟→どれかの息子、という感じに
兄弟がいる場合、必ずと言って良いほど兄弟で継承した後に
息子へと天皇の位を譲っていました。
奈良時代の皇族の婚姻は、異母兄弟や蘇我氏の娘が正室(正妻)で
他はバックアップのために、地方の豪族の娘を娶りました。
別の理由もありますが、割愛。
で、推古天皇の周辺ですが、矢張り異母兄弟との婚姻があり
皇位を継ぐのも兄弟でありました。
しかし、皇位継承権がある兄弟が多いと、自分の番が回る前に寿命が・・・。
天皇の位に就きたい皇子は、文字通り乱暴な手を使います
穴穂部皇子は崩御した敏達天皇の皇后である、額田部皇女(後の推古天皇)と
無理やり既成事実を作ろうとし、失敗したのちにお亡くなりに。
崇峻天皇も暗殺されるという、血生臭い結果で亡くなってしまい
白羽の矢が額田部皇女に立てられたのでしょう。
本来であれば、厩戸皇子がそのまま即位しても変では無いんですが
皇族のそれまでの不幸続きから、不安があったのかも知れません。
政治的にも何かあっただろうけれど。
推古朝では、有名なのが「十七条憲法」「冠位十二階」と
遣隋使を派遣し「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」等々
政(まつりごと)においては、発展して行く所でした。
ご本人も聡明な方であるというエピソードがあり、国益の為には私心を捨てている。
国家の利益を損じてまで譲歩したことがなかった。ずっと後のことではあるが、推古天皇32年(624年)、馬子が葛城県(馬子の本居(ウブスナ)とされる)の支配権を望んだ時、女帝は、「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって、公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評され、あなたもまた不忠だと謗られよう」と言って、この要求を拒絶したという。wikipedieより引用
さて、次はどなたにするか悩ましい。
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